INICIAR SESIÓN俺は今、狭いマンションに一人暮らしをしている。親父のやつ、『世間を見てこい』なんて偉そうに言って俺を豪邸の実家から追い出し、こんな普通の間取りのマンションに住まわせやがって。
フン、俺の天才的な経営の才能に嫉妬して、帝王学のつもりで下積みをさせているんだろうが、見当違いもいいところだ。俺には前世の記憶(データ)があるんだからな。
鏡を見ると、仕立ての悪いスーツは泥と雨水で雑巾みたいにボロボロ。髪はベタベタに張り付き、顔色も最悪だ。できない男演出のためとはいえ、俺様がこんなスーツを着るなんて。最悪だ。もう捨ててやる!
べちゃべちゃのスーツを脱ぎ捨て、ゴミ箱へ放り込んだ。スーツ代、親父に請求しよう。「くそ……頭がガンガンする。マジで風邪ひいたか&helli
パチ、パチ、パチ。 静まり返ったVIPルームに、耳障りなほど優雅で冷徹な拍手の音が響き渡る。 クローゼットの奥から姿を現したのは――完璧な仕立ての漆黒のタキシードを纏った諸星帝。 そして、その逞しい腕に寄り添い、本物のティアラを戴いた白峰結月だった。「ゆ、結月…… 諸星……どうしてここに!?」「相変わらず、哀れなほどおめでたい頭をしておいでですこと」 本物の結月は、アイスブルーのドレスの裾を揺らしながら、まるで道端の汚物を見るような冷え切った眼差しで俺を見下ろした。「保釈されたばかりの害虫が、鷹司華音と手を組んで何を企むかなど、すべて筒抜けでしたのよ。裏口の警備員が受け取った賄賂の口座記録も、あなたが購入したスタンガンの履歴も……すべて白峰と諸星の調査部がリアルタイムで把握しておりましたわ」「な……ッ、最初から全部罠だったのかよぉぉおおっっ!!」「罠に飛び込んできたのは君の底知れぬ浅ましさだ、ゴミ虫」 帝が侮蔑を込めて吐き捨て、手元のスマートフォンを俺の目の前へ投げ捨てた。 床に滑り込んできた画面には、発表会場の正面エントランスの様子が生中継されていた。『離しなさいよぉぉっ! 私は鷹司家の令嬢よ! 無礼者ぉぉっ!!』
そして迎えた、運命の作戦決行日。 都内屈指の一等地にそびえ立つ、巨大コンベンションホール。 エントランスには無数の報道陣が詰めかけ、諸星グループと白峰ホールディングスによる合同新商品発表会の看板が誇らしげに掲げられている。 俺は作業員風の濃紺のツナギを着込み、帽子のツバを深く目深に被って、華音から指示された地下の搬入口へと回り込んだ。もう骨折も無事に治って(なんせ驚異の回復力!)万々歳。 やっぱ前世の記憶持ちは体の治りも違うぜ~。 華音が買収したという裏口の通用門。 見張りの警備員は俺の姿をチラリと確認すると、何も言わずにカードキーをかざして電子ロックを解除してくれた。(へへっ、楽勝すぎ! やっぱり金とコネを持つ女を味方につけると話が早ぇや!) 俺はツナギのポケットに手を突っ込み、忍ばせてあるスタンガンの冷たい金属の感触を確かめた。もう片方のポケットには、強力な睡眠薬を染み込ませたハンカチとビニール袋が入っている。「控え室の場所は、地下からエレベーターで上がった三階のVIPルーム……」 薄暗いバックヤードの廊下を足音を殺しながら進む。 警備の目は見事に手薄だった。華音の手回し通り、発表会の直前でスタッフ全員がメインステージの設営に駆り出されているのだろう。 三階に到着し、重厚な絨毯が敷かれた廊下の奥へと進む。 金文字で『VIP ROOM』と書かれたドアの前に立った。ドアはわずかに
「結月を……奪い返す……!?」「ええ。今週末、諸星グループと白峰の合同新商品発表会があるわ。あの泥棒猫が調子に乗って表舞台に出てくる晴れ舞台よ。私の手引きで裏口の警備に穴を開けるから、あなたが控え室に押し入って結月を攫いなさい」 華音のギラついた瞳が、アクリル板越しに俺の顔を舐め回すように見つめてくる。「結月を薬で眠らせて遠くの隠れ家に監禁するの。車も場所も私が手配してあげるわ。結月さえ手に入れば、前世の記憶を持つあなたが裏から脅して、白峰の株も資産もすべて奪い返せるでしょう?」「確かに」「帝様が最愛の女を失って絶望しているところを、私が優しく慰めて、諸星家の正妻の座を奪い取る。……完璧なシナリオだと思わない?」 ドクドクと、頭の中で血が逆流するような熱い感覚が全身を駆け巡った。(そうだ……! 俺が結月を取り戻せば、すべて元通りになる!) 前世で俺が何を言っても「はい、陽太さん」と従っていた大人しい結月。 あいつは今、諸星の金と権力に目が眩んで強がっているだけなのだ。俺の腕の中に閉じ込めて、前世の記憶と恐怖をたっぷり叩き込んでやれば、泣きついて俺の言うことを聞くに決まっている。白峰の金も、失った実家の借金も、全部結月に払わせればいい。「乗った……! 乗ったぞ、華音さん!!」 俺は痛む右手首も忘れ、アクリル板をバンッと叩き返した。
「くそっ……! なんでだよ……なんで俺がこんなところで冷や飯食わなきゃいけないんだよ……ッ!」 警察署内の留置場、四畳半の殺風景な畳部屋。 なーんにもない部屋の中で俺は薄汚れたスウェットに身を包み、ぎしぎしと軋む壁に頭を何度も打ち付けていた。 右手首の骨折はズキズキと脈打つように痛むが、湿布を一枚貼られただけでまともな治療も受けさせてもらえない。 親父はあの配信の直後、本気で俺を勘当した。 「一条家の面汚しめ、二度と敷居を跨ぐな」と言い捨て、弁護士すら雇ってくれなかったのだ。「俺は悪くない……! 全部あの諸星帝が仕組んだ罠なんだ! 結月だって、前世では俺の足元に跪いて『陽太さん、愛しています』って尽くしてくれてたじゃないか……! あの女、絶対諸星に脅されてるんだ……俺が助けてやらなきゃいけないのに……っ!」 四十万人強に見せつけた、あの惨めすぎる自発的公開土下座。 今頃ネットの海では、俺が床に鼻水と涙を垂れ流して許しを乞うシーンが切り抜かれ、世界中のおもちゃにされているはずだ。それを思い出すだけで、屈辱と怒りで奥歯が砕けそうになる。 「俺は選ばれたスーパートレーダーなんだぞ! 前世の記憶を持つ主人公なんだ! こんなところで終わってたまるかよぉぉっ……!」 鉄格子の隙間から見える冷たい廊下を睨みつけ、爪を噛みながらグジグジと恨み言を垂れ流す。 だが、いくら喚いたところで、警察署の分厚いコンクリート壁はびくともしない。完全に詰んでいた。 ――そんな、絶望の底の底にいた時だった。
「鷹司様、相変わらず法的な知識が乏しくていらっしゃること」「な、なんですって!?」「親同士の口約束だけで『有効な婚約』が成立すると本気でお考えなのですか? 結納も、指輪も、同居の実態もない。当事者本人が拒絶している以上、そのようなものは単なる一方的な妄想ですわ」 私はバッグから、白峰と諸星の専属弁護団が連名で作成したばかりの書類の控えを静かに取り出した。「あなたが提出されたというそのスラップ訴訟……弊社法務部が確認しております。ですから、こちらは反訴(逆提訴)の手続きを完了させました」「は、反訴……!?」「ええ。根拠のない略奪者呼ばわりによる結月個人への名誉毀損、ならびに白峰ホールディングスに対する悪質な信用毀損・業務妨害。請求額はあなたの3億の倍以上――金10億円ですわ」 華音の顔から一瞬で血の気が引いていく。 完璧な法的カウンターに言葉を失う彼女の前に、背後から帝が冷然と歩み出た。「それだけではないぞ、華音」 帝の放つ絶対的な覇気に、華音の取り巻きたちが青ざめて後ずさりする。「諸星グループは、本日付で鷹司グループとのすべての共同開発事業から撤退する。君のくだらない虚栄心と嫌がらせによって、我が社のブランドが毀損されるリスクを排除するためだ」「な……ッ!? 撤退……!
肌を重ねるごとに熱を帯びていく空気の中、帝の指先が私の輪郭を確かめるように滑り落ちていく。 普段は冷静沈着で、何万人もの社員を従える男が、今はただ一人の女に飢えた獣のように乱暴で、それでいて壊れ物を扱うように優しい。 「……結月。息をしろ」「んっ……あ……帝……っ」 名前を呼ぶたび、彼の腕に込められる力が強くなる。 二人の吐息にかき消されていく。 前世で一条陽太から与えられたものは、侮蔑と無関心、そして利用されるだけの冷たい日々だった。 けれど、今こうして私を抱き締める帝の腕からは、火傷しそうなほどの熱量と、狂気じみたまでの愛が注ぎ込まれている。 「俺のものだ。誰にも渡さない……君の過去も、現在も、未来も、すべて俺が買い取った」「買い取っただなんて……人聞きが、悪いですわ……っ」「事実だ。君を手に入れるためなら、世界中を敵に回しても惜しくない」 傲慢で、独善的で、けれどどうしようもなく甘い誓い。 その言葉と共に深く注ぎ込まれた熱に、私は背中を反らせて帝の広い背中に爪を立てた。 蕩けてしまいそうな感覚の波に飲まれ、何度も彼の名を呼びながら、私はただ帝の温もりに全てを委ねたのだった。 ※ そして迎えた、週末のチャリティ晩餐会。
※「——結月さん? 白峰結月さん、聞いていらっしゃいます?」 名前を呼ばれて私は目を開けた。 まず飛び込んできたのは、まばゆいシャンデリアの光だった。磨き上げられた大理石の床。氷とグラスの触れ合う澄んだ音。着飾った人々が交わす華やかなざわめき。香水と、生花と、上等なワインの匂い。 冷たい安アパートの天井ではなかった。胸を焼く痛みもない。 視界を落とすと、手が映った。それは——細く、白く、傷ひとつない若い指が、シャンパングラスを握っていた。 鏡張りの壁に映った自分の姿に私は息を呑んだ。そこに立っていたのは、二十二歳の私だった。 すべてを奪われ、たった一人で死んでいったはず
それどころか、前世の一条グループじゃ逆立ちしても手が届かなかった財界のドン・武藤会長に自分からすり寄って、なんかクソ難しそうな半導体の話をして、あっという間に気に入られてやがる。 俺にわからねえ話で盛り上がるなんて……生意気だ!「おい、ふざけんなよ……! なんであいつ、俺をあんなゴミを見るような目で見たんだよ……っ!?」
志田成美、彼女は陽太がまだ何者でもなかった学生時代に、ただ一人本気で恋をした女。 そして、彼の前から黙って姿を消した女だった。 彼女は、儚げな人だった。私とは何もかもが正反対の。守ってあげなければ今にも壊れてしまいそうな、潤んだ瞳。風が吹けば飛んでいきそうな、頼りない肩。陽太は成美を前にすると、人が変わったように優しくなった。まるで、置き去りにしてきた青春を、もう一度やり直そうとするみたいに。 成美が「経営のことは、私、何も分からなくて」と困ったように睫毛を伏せれば、陽太は嬉々として手を差し伸べた。私が十年かけて整えてきた会議の段取りを後回しにしてまで、彼女のために時間を割いた。
「はぁ……」 私はため息をついた。 天井のしみを、もう何百回数えただろう。 白い天井に走る、雨漏りのあとのような薄茶色のしみ。三つ、いや四つ。数えるたびに増えていくような気さえする。かつての私なら、こんな安アパートの天井を見上げて死ぬ日が来るなんて、想像すらしなかった。 白峰結月(しらみねゆずき)。白峰ホールディングスの一人娘として生まれ、何不自由なく育った。海外の大学で経営学を修め、二十代の半ばで財閥の中核事業を任され——そして三十を過ぎた今、私は、すべてを失った。 医者は、過労と慢性的な栄養失調が重なったのだと、淡々と告げた。笑ってしまう。財閥令嬢として生まれた女が、その日の食







